2007年04月27日

矯正歯科デーモンシステム-1

矯正歯科デーモンシステムの特徴は
「歯根膜の血流を維持出来るような弱く持続的な力で歯を動かす」
ことです。

歯が動く仕組み〜では、なぜ歯根膜の血流を維持しなくてはならないのでしょうか?

歯根膜とは何か?

歯根膜は歯根周囲を取り巻き,歯と歯槽骨を結び付けその空隙を満たしている線維性結合組織(コラーゲン繊維)です。

歯根膜には血管や神経が網目状に広がり、歯根への栄養供給や、咬合力を和らげるクッションの役割をするとともに、その刺激・感触を脳へ伝える働きがあります。

** 適切な矯正力が加えられた時の歯根膜周囲の反応(デーモンシステム) **

歯に適切な矯正力(歯根膜の血流を阻害しない)が加えられると、歯が移動する側(圧迫側)では歯槽骨壁と歯根とを結合している主繊維が圧縮され歯根膜の組織圧が上昇します。

歯根膜繊維は一定の厚みを維持しようとするため、固有歯槽骨の骨膜が反応して破骨細胞(骨を吸収する細胞)を生じ,圧迫部位の歯槽骨壁を吸収します(直接性吸収)。

また反対側(牽引側)では主線維が伸展し,線維中に介在する血管の血流亢進が生じ、主線維の付着している固有歯槽骨の骨膜で骨芽細胞(骨を造る細胞)の増殖・代謝活性が促進され、骨が新生されます。

** 過度な矯正力が加えられた時の歯根膜周囲の反応(従来型矯正装置) **

一方、歯に加えられる矯正力が強すぎると、主繊維が圧迫され血管が閉塞して歯根膜に重度の血流障害が生じます。

それにより線維などの細胞基質は変性してしまいます(硝子様変性)。

破骨細胞はこの変性組織周囲の歯槽骨表層には接近できないため、骨髄側に出現した破骨細胞により歯槽骨壁の背面あるいは側面からの吸収が進みます(間接性吸収:隣接する障害を受けていない領域に由来する細胞の働きで行われる骨吸収)。

この様式では吸収すべき骨の量が多くなるとともに血管の再形成を待たなくてはならないため、歯の移動には相当な時間を要します。

これはブレーキをかけたまま車を走らせているようなもので、非常に効率が悪いのです。

Ormco Japan
SYNC横浜元町矯正歯科 「SYNC Official Site」

2007年04月24日

2007Damon Forum in JAPANの報告

4.18-20まで2007Damon Forum in JAPANに参加しました
診断から治療方法にいたるまで興味深い知見が多く、非常に有意義な時間となりました。

矯正歯科デーモンシステムが多くのメディアで話題となっているのは
「生体に優しい、非常に弱く持続的な力で歯を動かす」
という理想的な矯正歯科治療を実現したからです。

矯正歯科デーモンシステムによりクライアントの皆様は次のようなメリットを享受できます。

1.矯正歯科治療に伴う痛みが大幅に軽減されます。
2.「歯を抜かない矯正歯科治療」の可能性が高くなります
3.代謝を促進することでキレイな歯周組織(歯肉、歯槽骨etc)を維持できます。

この矯正歯科デーモンシステムは「デーモンブラケット」「ハイテクワイヤー」に独自の診断、治療ステップを組み合わせて行われる「治療体系」を意味します。

「デーモンブラケット」と「ハイテクワイヤー」を用いれば自動的に成果が見込めるという単純なものではなく、しっかりとした基礎知識が必要なシステムであることがよく理解できるForumでした。

詳細は次回以降のエントリーでお伝えいたします。

Ormco Japan
SYNC横浜元町矯正歯科 「SYNC Official Site」

2007年04月17日

2007 Damon Forum in Japan

4.18〜20 ホテル・ニューオータニ東京に於いて

2007 Damon Forum in Japan
が開催されます。

「デーモンシステム」の発想は、現在SYNCで用いられている「STbシステム」による裏側矯正(見えない矯正・舌側矯正)にも応用可能なものであり、有意義なフォーラムになることが期待されます。

4.18 Pre-Seminar
・ ライトフォース、ローフリクション、セレクティブトルクを理解する
・ 日本人患者のフェイスドリブンオルソドンティクスの診断
・ 患者の診断システム、術者の評価システムとしてのDamon System
・ 痛みが少なく、来院回数も少なく、きれいに早く終了するには?
・ ABOスコアリングを応用したブラケットポジショニングとIDB
・ Therapeutic Diagnosisを用いたコンサルテーションの実際
・ Read and Reactによるオープンバイト治療のメリット
・ リバースカーブとトルク付きカッパーナイタイの使用例
・ ハーブストアプライアンスの用い方と症例の実際
・ スタッフによる治療サポートと患者教育がもたらす効果

4.19-20
Forum
lecture Dr.Dwight Damon
Dr.Terry Dischinger
Dr.Tom Pitts

近日中にSYNC official siteにおいて「デーモンシステム」のページがアップされます。

Ormco Japan
SYNC横浜元町矯正歯科 「SYNC Official Site」


2007年04月14日

「見えない矯正」では抜歯した隙間も見えない?

見えない矯正(裏側矯正・舌側矯正)を希望されている患者様から良く受ける質問
「抜歯をしたあとの隙間が気になるのですが・・・」

以前のエントリーでもご紹介しましたが、今回は見えない矯正(裏側矯正・舌側矯正)で活躍する「仮歯」のお話し。

・・・本題の前に・・・
矯正歯科治療で”キレイな歯並び”を達成するためには、しばしば抜歯が必要になります。
最近「歯を抜かない矯正歯科治療」というフレーズを良く見かけますが、これは至極当然のことであり矯正歯科専門医であれば、医学的に観て不必要な抜歯は決していたしません。
出来るだけ、歯を抜かないで”キレイな歯並び”にしてあげたいのは、私たちの希望でもあります。

しかし、顎の骨が欧米人より小さい日本人では”キレイで安定した歯並び”のためにどうしても抜歯が必要になることが少なくありません。

・・・一方で、見えない矯正(裏側矯正・舌側矯正)を希望される方は、一般的に審美的要求が高く
「治療中の見た目がとても気になる!!」
「歯が抜けた状態はイヤダー!!」
ということがしばしばです。

そこで登場するのが、歯を抜いた隙間を目立たなくする「仮歯」です。
仮歯は歯の外形に合わせて削ったプラスチックで、抜いた部位の隣の歯(通常は後方の歯)に、歯科用接着剤でくっつけます。

07.4.15.1.jpgこれを削って形を整えます。(株)松風

この仮歯はあくまでも見た目を整えるためのものであって、ものを咬むのには適していません。
強い力が加わると外れてしまうこともあります。

07.4.14.1.jpg07.4.14.6.jpg07.4.14.3.jpg
写真では第一小臼歯(前から4番目の歯)を抜歯して仮歯を付けています。抜歯した隙間は歯を動かすために使われるので、2mm程度削ってありますが、正面から見るとほとんど隙間は見えません。

「キレイになるまでの数年間もキレイでいたい!」というのは無理もないことですよね。

SYNC横浜元町矯正歯科 「SYNC Official Site」

2007年04月03日

ニューロペディア「インフォームドコンセント(informed consent : IC)」

「正しい情報を得た上での合意」を意味する概念。
特に、医療行為(投薬・治療・手術・検査)や治験などの対象者(患者や被験者)が、治療や臨床試験・治験の内容について「十分な説明を受け、理解した上で方針に合意する」こと。

* ここでの「合意 consent」とは、双方の意見の一致・コンセンサスという意味であり、必ずしも提案された治療方針を患者が受け入れるということを意味しません。
また、患者が「先生に全部お任せします」といって十分に理解しようとせずにサインだけするような態度や、医療従事者が説得して方針に同意させるような態度は、ICとしては不十分です。

メディアで取り上げられる機会も増えて、ICは”言葉としては“すっかり定着した感があります。
しかし、実際の臨床現場では100%のICの達成は難しいものがあります。

ICの理想では、「なぜこの治療が必要なのか」「どのくらいの期間がかかるのか」「この治療をすることによる効果はどうであるか」「治療にかかる費用はいくらか」etc対象となる行為の名称・内容・期待されている結果のみではなく、代替治療、副作用や成功率、予後までも含んだ正確な情報が与えられることが望まれています。
しかし、どの程度までの情報を提供すれば「十分」なのかについては、具体的なガイドラインはないのが現状です。
*一部の医療機関では、腕からの静脈採血検査(通常の採血:比較的安全な検査だが血腫や神経損傷、失神などの副作用が生じうる)に対しても、同意を書面にて得ているらしい。

現実には、患者の理解力・判断力には相当の差異があるため、多くの情報を与えられたことで、患者が困惑・混乱してしまう場合もあります。

そもそもICは「従来の医療従事者の権威主義的な医療を改め、患者の選択権・自由意志を最大限尊重する」という理念に基づいて生まれた概念で、日本では1997年の医療法改正によって初めてICの概念が取り上げられました。

医療法

今のところ、ICの解釈は各医療機関の裁量に任されており、裁判例においても必ずしも見解が一致していないようです。
ICの言葉だけが一人歩きしないように、早期のガイドライン作成が望まれます。

** 最後にICの現状に関する興味深い考察を示した本をご紹介します。**


「ブルマーはなぜ消えたのか--セクハラと心の傷の文化を問う」(中嶋 聡著 : 春風社)から抜粋

医療において、インフォームド・コンセントという言葉が叫ばれるようになって久しい。

ある時期までは、というのは今から約20年前、1985年くらいまでは、医者が患者に対して病気や治療法について説明するというのは、一般的ではなかった。

もちろん多少は説明していたのだが、必ずしも真実を説明する必要はなく、必要に応じてごまかしたり、お茶を濁してもいいとされていた。

原則的に、パターナリズム、すなわち治療法は医師が決め、患者はそれに黙って従っていればよいというのが一般的な考え方だった。

(中略)

ところで、医療裁判の事例をみると、そのほとんどにおいて「医師の説明が不足していた」という言い分が出てくる。

この言い分は、一見もっともにみえるが、実は重大な問題を孕んでいる。

実際に説明が不足していたと単純に言えるケースもあるにはあるだろう。

しかし、先に述べたように実際の臨床ではある程度省略を加えないと説明ができないことを考慮すると、保険証券に書かれている約款のように逐一すべてでない限りは、どこまで詳しく説明しようと、なお説明が不足していたと言われる余地は残るのである。

さらに説明の仕方まで問題にされるのであれば、なおさらである。

ところが反面、患者の方は疑問な点はとことん医師に質問したのかというと、どうもそうではないようである。

訴訟記録をみると、ほとんどのケースでは、患者はあまりにもといっていいほど受け身であり、医師の説明を「受け取る」だけであったようにみえる。

日常臨床における私の印象から言っても、患者の姿勢は一般的に言って大体そのようなものである。

自己決定の原則からすれば、必要な質問を選び、また行うことは、患者の権利であり、また自らの責任でもあるはずなのにである。

また、自分から医師に詳しい説明を求め、いろいろ質問してくる人であっても、それらの説明や答えをもとに自分で判断しようという姿勢を持っているようには思えない人が多い。

疾患について詳しく説明し、治療法や薬についての選択肢も呈示して、「ではどうしますか」と問いかけると−−医師としては「当然のこと」をしているはずだし、またそれが患者の求めでもあったはずなのだが−−途方に暮れてしまったり、「薬は出してほしいが、副作用があるのでは困る」とか「(勧められた通り薬をのんで)早くよくなりたいが、でも薬には頼りたくない」といった二律背反の前に堂々巡りして、結局自分では決められず、どこかで医師が助け船を出さざるをえないという人が多い。

Aを選べばA’というリスクがあり、Bを選べばB’というリスクがある。

Aを選ぶということはすなわち{AA’}を選ぶということであり、同時にそれはBを断念するということでもあるのだが、「AはいいがA’は困る」とか「AもBもほしい。なんとかできないか」と訴える人が多いのである。

しかも、そのように詳しく質問する動機は、自分が正しく判断するために多くの材料を集めようとするというよりは、むしろ漠然とした不安からという場合が大半であるようにみえる。

私はこのことは、患者の側が、ということは要するに世の中の人々が、自己決定の原則ということを主張し、また裁判ともなれば重要な論拠として持ち出すけれども、実は多くの場合その意味するところを十分には理解しておらず、また本音としてはあまり望んでさえいないということを示しているのではないかと思うのである。

 「自分の体のことだから自分で決めたい」「自分で治療法を選びたい」と言いながら、多くの場合、そう言うからにはそれに伴う責任やリスクを自らが引き受けることになるのだという自覚は、持っていないのではないかと思う。

医療裁判の事例に引きつけて言えば、本音としては、医師に頼り、助けてもらいたかった。

別に自分で治療法を選びたかったと強く願っていたわけではなく、医師に最善の方法を決めてもらえ、治療がうまく行けば、それでよかった。

しかしそれが残念ながら叶わなかった事態を受けて、今度は近代市民社会の論理を持ち出し、闘っている。そんな風に思えるのである。

(中略)

実際には、内容が専門的であると、自分でいろいろ調べてみても、断片的な知識の寄せ集め以上の理解に達することはなかなか難しいのではないかと思う。

また、自分で質問事項を準備して医師に詳しく聞いたとしても、答えの意味をよく理解できないことも多いだろう。

その結果、自分ではなかなか正しい判断を下せない場合が多いのではないかと私は想像する。

それでも自分が判断することが重要なのだ、たとえその判断が客観的に見れば−−たとえば専門家の立場から見れば−−愚かなものであっても、それでよいのだ、というのが自己決定権の考え方である。

昔の日本には、伝統的に、このような考え方はなかった。

社会の欧米化に伴って、この20年位の間に急速に広まってきたものである。

この考え方は、一見もっともらしいが、しかし間違っているのではないだろうか。

世の中、自分で決められることもあるが、反面人にお任せした方がいいこともある。

中途半端な説明をいくら聞いてもわからないし、結局正しい判断を下すことはできない。

日本人は伝統的に、このようなとき、頭を下げて、「お任せします」と言っていた。

そしてその結果が自分の望まないようなものに終わっても、多くの場合、結局は最善の選択をしたのだ、自分よりはるかにその分野についてよくわかった人にお任せしたのであり、その人もできるだけのことをしたのだからと、自らを納得させてきた。

このような態度は、偉大な英知ではないだろうか。

人々は、事柄が難しくなればなるほど、自分だけで物事が完結しないことを知っており、それをうまく解決するような集団的なシステムに身を委ねていたのである。

もちろんすべてがすべて善意の人ばかりではないから、問題は起こるのであろう。

場合によっては、自己決定を原則とする社会では考えられないような理不尽な仕方で問題が起こり、それが理不尽な仕方で処理されるということもありえたであろう。 

しかし反面、自分がすべてに関与していない分、諦めることをより容易にするシステムでもあった。

「仕方がなかったのだ」と思えることは、必ずしも悪いことばかりではない。

(後略)

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